昭和30年代は鶏を野山に放し飼いにしていました。草むらや藪の中でタマゴを産んでいたため回収率が悪く、タヌキやキツネといった天敵狙われることもしばしばありました。放し飼いの時代、水は天然の湧き水を飲ませ、山の澄んだ空気を吸い、野山を終日歩き廻り、微生物をふんだんに含む腐葉土をついばんでいました。そして何より産む卵は、カチンカチンと音のするような良いものでした。
昭和40年代に入り、やむなくケージ飼いするようになりましたが、生命を養う三大要素である空気、水、エサを放し飼いの時のような状態に近いものにするにはどうしたらよいか、日夜考え続けました。
長い試行錯誤の経過の中でこだわってきたもの。第一に空気。東京の外れの森に囲まれた土地は澄んだ空気に恵まれ良好です。次に水。地下101mまでボーリングしたミネラルを多く含む天然水を与えています。水道水は殺菌に発癌性の疑いがある成分を添加しているので使用しません。そして飼料。遺伝子組み換えをしていないトウモロコシ、大豆ミール等々を主に与えています。
さらにプラスして、直培養した天然酵母菌を多く含むエサをブレンドし与えています。これらの自然の恵みをより多く鶏に与えることで、生命体としての健康の維持、促進、さらには卵の味わいの向上に努めています。
私は生まれた時から鷄に囲まれて育ち、小さな頃から卵を集めたり鶏小屋の掃除をしたりと、父の仕事を手伝ってきました。そして究極の卵「ウルトララン」を作り上げるに至りました。
父や母がいつも言っていたのは「食の安全」「自分の子供たちにも安心して食べさせられる卵」を作ること。鷄のエサを高価な非遺伝子組換えのものにしたり、減農薬のエサを使ったり、抗生物質などの薬品を使わないようにしたりしました。しかし子供だった私は、その時はそれほど意識をしていませんでした。母も食の安全には気を遣い、家族への毎日の食事は野菜中心の手作り料理。野菜は減農薬、とにかく添加物の入っていない調味料を使う等。当然子供の頃は、ファーストフード、ファミリーレストランなどにはほとんど行った記憶がありません。
アレルギーの原因のすべてが、保存料など食品添加物とは思いませんが、統計的にそれらの病気が増えていったのは、食品に保存料や添加物が使われていった歴史と比例するそうです。
そんな中、父の作り上げた安全な卵「酵母たまご」をベースに、さらなる究極の卵を作りたい、という思いが日々募っていきました。
平成21年に農場長となり、その思いはますます強くなりました。
そして生まれたのが「ウルトララン」です。
まだまだ勉強不足で未熟者ですが、卵への安全、美味しさへの探究心は誰にも負けません。